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2006.09.27 Wednesday

梶本隆夫さん

米田哲也投手と共に
弱小時代の阪急ブレーブスを支えた
梶本隆夫さんが23日亡くなった。
享年71歳。


(現役時代の梶本隆夫さん)

梶本さんはダンプの異名を取った
米田さんとは対照的、
186センチ、75キロ
痩身のハンサムボーイだった。


(米田哲也さんの現役時代、通算350勝は歴代2位)

時の大女優、高峰三枝子が熱を上げ
後楽園球場のボックスシートを確保し
阪急ブレーブスの試合には
必ず応援に訪れた事は余りにも有名である。
しかしながら、梶本さんは
大女優との浮名を流した人とは思えぬほど
静かなる男であった。

そして、プロの厳しい世界を生き抜くには
気持の優しすぎる男だった。

典型的な事柄は、

阪急の監督として
プレーオフで近鉄と戦った時の事。

近鉄の軍門に屈した直後、
敵将、西本監督の祝福の為
相手ベンチを訪れた。

更に素晴らしい成績の割には
米田の影で目立たぬ存在だった。

彼の輝く部分は、
生涯勝星、254勝、
これは歴代8位であり
左腕では金田、鈴木に次ぐ第3位である。

更に、彼の持つ9連続三振奪取は
土橋(当時東映)投手と共に
今も尚、プロ野球記録として残っている。

彼は投げるだけではなく
打撃にも秀でていた選手で
度々1塁手で出場、
中には、3番打者として先発出場したこともあった。

しかし、彼の野球人生と記録は
ほろ苦い味を漂わせている。

その代表的なものを紹介すると、

・1954年阪急入団、その年
 高卒ルーキーとして開幕投手を務め
 勝ち投手となる。
 更に、この年20勝を上げるも、
 新人王は宅和(南海)にさらわれる。

・プロ野球史上、200勝以上達成した投手20名中、
 唯一の負け越し投手である。(254勝255敗)

・当時のプロ野球連敗記録
 15連敗目の敗戦投手となった。

・今や空文化している20秒ルールの
 (無走者の場合投手は20秒以内に投球すること)
 プロ野球史上、唯一の適用者となった。

・阪急の監督を2年務めるも
 性に合わぬと自ら前監督上田に返還。

等々であるが、中で最大のものは、

これだけの大投手が生前中に
野球殿堂入りを果たせなかった事である。
 
コメント
54eef9764ad2eca580a512ce31897640 谿コ縺励※縺紜縺ァ√◆縺。
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  • 2007/03/29 3:34 PM
“ありがとう…そして…よかったよ…”さよなら…カジさん
{{{ プロ野球の阪急(現オリックス)で投手として活躍、監督を務めた梶本隆夫(かじもと・たかお)さんが23日、呼吸不全のため亡くなった。71歳。  告別式は25日午後1時から兵庫県西宮市高畑町2の25、エテルノ西宮で行われる。喪主は長男、雅司さん。  
  • 赤のしっぽスポーツ
  • 2006/09/27 10:57 PM
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